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鏑木商舗とは
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文化二年(1805)創業、
再興九谷と共に歩みはじめる
古九谷の廃窯からおよそ100年が経った文化二年(1805)、
徳川11代将軍・家斉(いえなり)の治世に、
全国陶器を扱う商家として金沢で開業しました。
折しも開業の翌年、加賀藩 前田家12代 斉広(なりなが)は国焼の創設を目指して
京都の名工 青木木米(あおきもくべい)を招聘。
金沢卯辰山山麓に「春日山窯」が築かれ、九谷の土による作陶がはじまりました。
これにより藩内に最新の陶磁器製造技術がもたらされることとなり、
九谷焼を再興しようという気運がにわかに高まりました。
その後およそ20年の間に多くの名窯が築かれ、一大産業として花開いたのです。
当舗では加賀藩の意向を受け、自家工房に名工たちを集めて絵付けを行った他、
各窯から仕入れた製品の販売も担い、九谷焼の藩内普及に大いに貢献しました。
![](https://www.kutani.net/pic-labo/about_kaburaki1.png)
九谷焼を世界に向けて発信した明治・大正時代
明治・大正時代に入ると、国内の展覧会に加え海外の万国博覧会にも積極的に出品し、
数多くの賞を得るとともに、九谷焼の価値を世界に広めることに尽力しました。
創業より続く自家工房での九谷焼製造はもちろんのこと、
九谷庄三、松本佐平、石野竜山、前川卯山、初代 徳田八十吉
といった名だたる名工に優品の制作を依頼。
また、取り扱う商品の裏印には必ず「鏑木」の名を入れて品質を保証しました。
当時の九谷では、商社も作家もやっていなかった「ブランド化」にいち早く取り組み、
日本全国、そしてヨーロッパを中心とした海外にも販路を広げました。
現在でもヨーロッパのアンティーク磁器愛好家の間では、
「鏑木」の裏印は一級品の証として知られています。
![](https://www.kutani.net/pic-labo/about_kaburaki2.png)
原点に立ち返る鏑木ブランド
八代目を数え、創業220周年を前にした今、
鏑木が目指すのは「ブランドの確立」です。
九谷焼はそれ自体がひとつのブランドとも言えますが、
実は作り手・窯元によって、その品質は一様ではありません。
このサイトでご紹介するのは全て「鏑木ブランド」、
つまり鏑木が責任を持って品質を保証した品々となっております。
私たちは九谷焼というブランドに胡坐をかくことなく、
マイセン・ウェッジウッド・ロイヤルコペンハーゲンに並ぶような
世界に通じる鏑木(KABURAKI)を目指します。
これは新たな挑戦であると同時に、
明治・大正時代に世界に羽ばたいた鏑木ブランドの復活、
つまり原点に立ち返ることも意味します。
広く流通しどこのお店でも買える九谷焼とは一線を画した、
「かぶらきでしか買えない」品々をお楽しみください。
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